AIに文章の校正をお願いしては爆死
自分は個人でいくつかのWebサービスを制作・運営している。
サイトに掲載する説明文やブログ記事は基本的に自分で書いているのだけど、その校正をAIにお願いしてる。
基本的な流れとしては、まず自分で構成を考えて文章を書く。
その文章をAIに渡して、事実確認や誤字脱字のチェック、言い回しの修正、さらに内容の肉付けまでお願いする。
戻ってきた文章を確認して、自分で加筆修正する。必要に応じてもう一度AIに確認してもらい、納得できたところでサイトに公開する。
そんなことを繰り返しているのだけど、どうにも困ったことがある。
自分が使っているChatGPT(2026年10月16日現在)だと、校正を重ねるうちに、いかにもAIが書いたような文章になってしまうのだ。
もう、うんざりするくらいAI。
例えば、こんな特徴が頻繁に登場する。
何でも箇条書きにする
少し説明すれば済むような内容まで、律儀に箇条書きにしてくる。
例えば、「疲れた日はお風呂に入って、早めに寝るといい」という程度の話が、こんな具合になる。
湯船にゆっくりつかる。
好きな香りの入浴剤を使う。
お風呂上がりに水分を補給する。
肌の保湿をする。
部屋の照明を少し暗くする。
スマートフォンから離れる。
寝る前に軽くストレッチする。
十分な睡眠をとる。
「こうした小さな習慣の積み重ねが、心と体を整え、自分らしく過ごすための大切な一歩につながります。」
いや、お風呂に入って休もうという話をしていただけなんだけど。
もちろん、これは少し大げさに再現した例だし、箇条書きが適している場面もある。
問題は、必要のないところにまで登場することだ。
しかも、最後には妙にきれいなまとめの一文まで付いてくる。
曖昧で当たり障りのない言い回し
「〜と言えるでしょう」
「〜かもしれません」
「〜につながります」
こうした表現が繰り返し登場する。
断定を避けたほうがいい場面もあるのだけど、何でもかんでも曖昧にされると、結局何が言いたいのかわからなくなってくる。
自分でははっきり書いたつもりの文章まで、どこか遠慮がちな言い方に変わってしまう。
誤解を招かないように配慮しているのかもしれないし、実際、それで助かることもある。
ただ、こちらが自分の意見として書いたことまで曖昧にされると、何だか他人事のような文章になってしまう。
AI独特の言い回し
「大切なのは、〜ではなく、〜することです」
「単なる〜ではありません。〜なのです」
こうした、何かを否定してから別の何かを持ち上げる言い回しもよく登場する。
ほかにも「そっと背中を押してくれる」「新たな可能性を広げる」といった、どこか大げさで抽象的な表現。
ひとつひとつは別におかしな日本語ではない。でも、何度も出てくると、またこの言い回しか、と思ってしまう。
普通に説明してくれればそれでいいのに、なぜか最後にちょっといいことを言おうとする。
こういう文章を見るたびに、また手直しする箇所が増えたなと思ってしまう。
同じ語尾が続く
それから、語尾。
「〜てしまう」「〜ていく」のような同じ語尾が、何文も続けて出てくる。
実は、この記事にもそれが残っている。
「曖昧で当たり障りのない言い回し」のところでは「変わってしまう」「なってしまう」、「AI独特の言い回し」のところでは「思ってしまう」が2回。
このあとの段落でも、「直されていく」「薄れていく」「漂白されていく」と、「〜ていく」が3文続けて並んでいる。
一文ずつ読めば気にならないのだけど、続けて読むと単調でリズムが悪い。
自分の文章がAIに漂白されていく
もうひとつ気になっているのが、校正を繰り返すうちに自分の文章が少しずつ別のものになっていくことだ。
自分が書いた言葉が、AIによってマイルドな表現に置き換えられる。少し癖のある言い回しも、無難で整った文章に直されていく。
そうして何度も修正を繰り返すうちに、書き手の個性が薄れていく。
属人性がなくなって、文章が漂白されていくような感覚だ。
実際にどう変わるのか、今回の記事をChatGPTに校正してもらったときの文章を紹介したい。
実例1:文章が説明的になる
自分が書いた文章
訂正の過程で明確に自分の言葉だったものが、AIに書き換えられてマイルドになる。
属人性がなくなって漂白されていく。
ChatGPTが校正した文章
自分では明確な意図を持って書いた言葉が、AIによってマイルドな表現に置き換えられる。少し癖のある言い回しも、無難で整った文章に直されていく。
そうして何度も修正を繰り返すうちに、書き手の個性が薄れていく。
まるで文章が漂白されていくような感覚だ。
どうだろう。
確かに読みやすくなっている部分はあると思う。
ただ、元の文章には「漂白されていく」という言葉に、自分なりの嫌悪感を込めていた。
それが「まるで文章が漂白されていくような感覚だ」になると、ずいぶんおとなしい印象になってしまう。
しかも、説明が増えて文章も長くなった。
文章の漂白について書いた文章が、AIによって漂白されてしまったわけだ。
実例2:書いていないことまで増えていく
自分が書いた文章
最終的にこれらを手作業で修正していくのだが、だんだんとそれも面倒になってきてAI表現をそのまま残してしまっている。
ChatGPTが校正した文章
最終的に、こうした表現を手作業で修正していくことになる。
ところが、それもだんだん面倒になってきた。
最初のうちは気になった箇所を片っ端から直していたのだけど、最近では、まあこれでもいいかとAIの表現をそのまま残してしまうことも増えている。
こちらは、元の一文が三つの段落に増えている。
確かに元の文章は長すぎるし、読点も足りない。そこを直してもらえるのはありがたい。
ただ、「最初のうちは気になった箇所を片っ端から直していた」という説明は、自分では書いていなかったものだ。
今回は文章の肉付けもお願いしていたので、AIが指示に従っているとも言える。
それでも、こうした補足が増えていくと、自分が実際に書こうとしていたこととの間に少しずつズレが生じてくる。
もちろん、校正後の文章のほうがわかりやすいと感じる人もいるだろう。自分でも、直してもらってよかったと思う箇所はたくさんある。
それだけに、どこまで修正してもらうべきなのか悩ましい。
実例3:自分らしい言い回しがなくなる
自分が書いた文章
でも、心のどこかでもうちょっとなんとかならないかなと思ってしまう欲張りな自分がいる。
ChatGPTが校正した文章
でも、心のどこかでは、もうちょっと何とかならないものかとも思っている。
欲張りなのだろうか。
元の文章にあった「欲張りな自分がいる」という言い回しには、少し自虐的な気持ちを込めていた。
それが「欲張りなのだろうか」になると、何だか妙にかしこまった文章になってしまう。
「もうちょっとなんとかならないかな」というくだけた言い方も、「もうちょっと何とかならないものか」に変わっている。
確かに文章としては整っているのかもしれない。
でも、自分はそんな言い方をしないんだよなあ。
こういう小さな修正が積み重なっていくと、だんだん自分が書いた文章から遠ざかっていく。
もう、これでいいんじゃないか
最終的に、こうしたAI特有の表現を手作業で修正していくことになる。
ところが、それもだんだん面倒になってきた。
最近では、まあこれでもいいかとAIの表現をそのまま残してしまうことも増えている。
もっとも、サイトに掲載する文章なので、それでいいとも思っている。
読みやすくて、誤解を招かず、必要な情報がきちんと伝わればいい。そもそも、そういう文章にしたくてAIに校正をお願いしているわけだし。
それなら別に、AIっぽい文章でもいいんじゃないか。
というか、もうそれでいいかなと思ってしまう自分がいる。
でも、心のどこかでは、もうちょっと何とかならないものかとも思っている。
欲張りなのだろうか。
それでプロンプトを調整してみたり、ほかの人が公開しているプロンプトを参考にしてみたりもした。
箇条書きを使わないように指示したり、自分の言い回しをなるべく残すようにお願いしたり。
確かに改善する部分もあるのだけど、今度は別のところが気になり始める。ある問題を解消したと思えば、また別の問題が出てくる。
細かく指示を書き足していけば、その分だけプロンプトも長くなっていく。
文章を直してもらうために、今度はAIへの指示文を考えることに時間を使っている。
結局、いろいろ試した末に、いつもの簡単な指示に戻ってきてしまった。
わたしはもう疲れた。
結局、自分で文章を書く練習を始めた
そうして今日も、いつもと同じようにAIに文章の校正をお願いしている。
自分の文章力に自信がないから、どうしても頼ってしまう。
実際、自分では気づかなかった問題を指摘してもらえることもあるし、助かっているのは間違いない。
ただ、その後に待っているのは、AIが直した文章を自分でまた直す作業だ。
何のために校正してもらっているのだろう。
そんな小さなストレスが、少しずつたまっていく。
そして最近、結局は自分でまともな文章を書けるようになるしかないのでは、と思い始めた。
気がつけば、初心者向けの文章術の本を片手に、文章を書く練習をするようになっている。
AIのおかげで文章を書くのが楽になるはずだったのに、どういうわけか、文章の勉強を始めることになってしまった。
個人開発者にとっても悩ましい問題
自分と同じように、個人でWebサービスを作っている人の中にも、AIに文章を書いてもらったり、校正してもらったりしている人は多いんじゃないだろうか。
サービスの制作から運営、告知まで全部ひとりでやっていると、文章を書く作業をAIに任せられるのは本当にありがたい。
ただ、AIに整えてもらった文章は、どこか似たようなものになりがちだ。
せっかく自分で考えて作ったサービスなのに、その紹介文から人間味やパンチがなくなってしまう。
それでは読んだ人の印象に残らないかもしれないし、「いかにもAIが書いた文章だな」と思われることで、サービスそのものに対する印象まで悪くなってしまう可能性もある。
自分が作ったサービスだからこそ、自分の言葉で、その魅力や制作した理由を伝えたいという気持ちもある。
もちろん、AIを使うこと自体が悪いわけではない。自分だって散々使っているわけだし。
ただ、便利だからといって頼りすぎると、自分の言葉で伝えたかったことまで失われてしまう。
そのあたりの加減が難しいんですよね。
ちなみに、この記事も最終的にはAIに校正してもらった😛
元の文章はこんなに「綺麗」で「純粋」ではない。
AIに校正させるとずいぶんと「格好よく」されちゃって困るので、アップしている記事はそのうちリライトします…。(原文ママ