クレーマーの声がずんだもんになったら怖くないのでは?
電車内でおだやかなアナウンスを聞きながら、ふと思った。
コールセンターで怒鳴ってくる相手の声が、ずんだもんの声になったらどうだろう。
「お前のところの商品はどうなってるのだ!責任者を出すのだ!」
……あまり怖くない気がする。
むしろ、ちょっと笑ってしまうかもしれない。
今日一日がほんのりと幸せな様相を呈してきてしまうかもしれない。
そんなやわらかボイス。
コールセンターの仕事は大変だと聞く。
理不尽なことを言われたり、長い時間怒鳴られたり。
でも、聞こえてくるのがずんだもんの声なら、職員のストレスも少しは軽くなるんじゃないか。
全部の電話をずんだもんにすると普通の問い合わせまで気が抜けそうだから、クレーマーの時だけ切り替えるとか。
そんなことを考えていた。
調べてみたら、もう製品になっていた
半分冗談のつもりだったのだけど、調べてみたら似たような製品がすでにあった。
ソフトバンクが2026年2月に提供を始めた「SoftVoice」というサービスで、通話中の相手の怒鳴り声や威圧的な声を、AIでリアルタイムに穏やかな声色へ変換してくれるらしい。
話している内容はそのままで、声のトーンや抑揚だけを変えるそうだ。
変換はオペレーターがボタンを押して切り替える仕組みなので、「クレーマーの時だけ」というのもちゃんと実現されている。
自分がぼんやり思いついたことを本気で作っている人たちがいた。
しかも東京大学との共同研究で何年もかけて…。
ただ、SoftVoiceが変換するのは「穏やかな声」。
自分が考えていたのは、ずんだもんの声。
ずんだもんにしたらどうなるのか、AIに聞いてみた
そこで、ずんだもんの声にしたらどうなるのか、ChatGPTに聞いてみたら、こんな答えが返ってきた。
ソフトバンクの開発者によると、初期段階では単純に声の高さや音量を変える実験も行ったものの、ストレスの軽減にはつながらなかったそうです。むしろ、声が面白おかしく変換されることで、応対に集中できないという問題があったとのことです。
つまり、ずんだもんの声にすればストレスが減るとは限りません。
気になって元の記事を読んでみたら、ソフトバンクニュースの記事にたしかにそう書いてあった。
別の取材記事によると、最初は感情をすべて消して、ロボットのような声にする案もあったそうだ。でも、相手がどれくらい怒っているのかわからないと対応がちぐはぐになる、という意見がオペレーターから出たらしい。
なるほど。
怒鳴られるのはつらいけど、相手が怒っていることまでわからなくなると、それはそれで困るわけだ。
視覚に頼れず、受け取れるのは声からの情報だけ。
情報量が少ない中ではちょっとしたニュアンスが大切になってくるのだろう。
考えてみれば、ずんだもんの声で怒られている最中に吹き出したら、相手の怒りに油を注ぐことになる。
笑いをこらえながら謝り続けるのも、別の種類のストレスになりそうだ。
声の次は、顔も変えられるようになるのか
電話の声をリアルタイムに変えられるなら、目の前にいる人の声だって変えられるかもしれない。
どれくらいの遅延が出るのかはわからないけど。
最近はスマートグラスも少しずつ身近になってきた。
眼鏡越しに見える現実の景色にデジタルの映像を重ねて見せる、ARやMRと呼ばれる技術を使った眼鏡だ。
これが当たり前になったら、目の前の相手の顔や声をリアルタイムで変えるシステムが出てきてもおかしくない。
苦手な上司の顔が、好きなキャラクターに見える。
怒鳴っている人の声が、ずんだもんになる。
初対面で緊張する相手が、少し親しみやすい見た目になる。
今すぐ実現できるものではないと思うけど、ここ数年の技術の進み方を見ていると、そう遠い話でもない気がする。
ただ、そうなったとき、自分はいったい誰と話していることになるのか。
アイデンティティとは何なんだろう
たとえば、ある人が3人の前で話しているとする。
1人目には、その人がそのままの姿で見えている。
2人目には、かわいいキャラクターに見えている。
3人目には、まったく別人の顔と声で見えている。
本人は何も変わっていない。
でも、3人が受け取る印象はまるで違うはずだ。
印象が違えば、接し方も変わってくる。
ネットの世界ではもう、アバターやVTuberのように、見た目や声を変えて人と話すのは珍しくない。
ただ、あれは本人が「こう見られたい」と選んだ姿。
MRで相手の姿を変えるとなると選ぶのは見る側になる。
本人が知らないうちに、誰かの目にはずんだもんとして映っている。
そうなると、その人らしさというのがどんどん希薄になっていくような気がする。
では、その人らしさってどこにあるのだろう。
顔や声なのか。考え方や記憶なのか。
それとも、周りの人からどう見られているかも、その人の一部なのか。
自分の中にはっきりした「自分」があったとしても、他人がそれをまったく違う姿で受け取っているなら、他人にとっての自分とは何なのか。
そもそも今だって、自分が見ている相手と、ほかの人が見ている相手は、同じ人なんだろうか。
この先は、見え方だけじゃなく、自分の体そのものも変えられるようになるかもしれない。
体にマイクロチップを埋め込んで、鍵や支払いに使っている人はすでにいる。
こうして技術で自分の体に手を加えることを「バイオハック」なんて呼んだりしている。
医療の分野では、脳にチップを埋め込んでコンピューターとつなぐ臨床試験も始まっている。
これからそういうことがもっと盛んになってくるのだろうし、そうなったら自分がどこまで自分なのかをどうやって担保すればいいのか。
ずんだもんの声なら怖くないのでは、という話をしていたはずなのに。
アイデンティティって、何なんだろうとちょっともやもやしながら。